事業内容

赤本先生平島 指導風景
小さな一歩でなりたい自分に成れる人材育成
弊社では『歩成式受験研究所』(旧平島塾)という中高生を対象とした学習塾をメイン事業として取り扱い、人材育成を中心に事業展開をしている。

 歩成式受験研究所では特に、入試寸前で厳しい状況の受験生たちを数多く志望校へと合格させてきた。2 ヶ月で、模擬試験の結果がE判定だった生徒を、早稲田大学、慶應大学へと導いてきた実績を持つ。しかしながら、歩成社の目標とするところは実のところ志望校合格の1 点ではない。企業理念でもある「かっこいい大人を育てる」ことが歩成社の最大のミッションであり、それを実現すべく普通の学習塾とは大きく異なる教育を行っている。



 【ただ勉強を教えるのではなく、心・技・体の3 点に注目し、三位一体の成熟を促していく】
 
 例えば、受験生はしばしば偏食をする。これは勉強に時間を割き過ぎることで、調理や食事に時間を作れず、ファストフードに逃げてしまうからだ。悪質な食事は集中力の低下をもたらし、健康をも損ねる。健全な心身でなければ、十全の勉強はできない。試験当日も実力を発揮できない。
 
 歩成社は受験という教材を用いて、人生への立ち向かい方を子どもに伝えていく企業なのだ。
 
 一般的な学習塾が、心技体でいう技だけを教えている。対して、当塾では食事・睡眠・運動などの生活面から抜本的に改善させることで、心と体を研鑽させていく。また、協力パートナーとして専属のメンタルコーチと提携しており、受験で疲弊した精神のケアをも行なっている。同業他社でも「担任制度」など存在するが、当塾はそもそもの定員が20名以内の超少人数教室であることに加えて、メンタルコーチと代表兼講師の2人体制でケアしていく手厚いサポートは、他の塾にない強みだといえる。



 【母親の在り方を変えていく】

 さらに、2020 年10 月からは保護者向けのオンラインコンテンツ拡充にも本格的に注力し始めた。受験塾を経営する中で、単純な学力とは別に「勉強できる環境」の重要性に注力してきた歩成社は、学力が向上しない大きな理由の一つに”親の在り方”という要素を発見した。親が過干渉である、または過度の放任主義である場合、子どもは勉学へ集中できず、親の気をひく行動にコミットしてしまう。そこで、これからの歩成社では受験塾という本軸と新たに、受験生の保護者の在り方を変化させていく事業に取り組んでいく。

 実際、受験生の親というのは受験生以上に不安と心配を抱えている。受験というものが基本的には高校・大学入学による人生で2度しかない、しかもその後の人生を大きく変えてしまうイベントで、ある意味子どもの人生を左右する一大事だ。親からすれば、生きるか死ぬか、それほどの衝撃的なタイミングになる。そんな中、不安を抱えた受験生の保護者というのは、しばしば子どもに対して過干渉になってしまう。成果を出せない部下に対して厳しく叱責・指示を出す上司かの如く、子どもに対しても干渉してしまう。


 一見いいことに見えるが、実のところ子どもはまだ、そのような関係性に慣れていない。親からは怒られていると感じ、怒られないための行動を重視するようになる。親の心配が、子どもにとっての恐怖対象へと変わる瞬間だ。学力を向上させることや、自身の成長ではなく、親から怒られないために生きていくようになる。


 その結果として、教科書を開いていながらも隠れてスマートホンに興じ、際限ない昼寝の旅へと出かける。夢の中では怒られないからだ。
 
 
 このように受験生の主な関係者である、親が学力向上にコミットできる環境を作れるか、それとも自身の不安に対応させる環境を作ってしまうかによって、受験生の勉強の質というのは天と地の差があるのだ。だからこそ「受験生の親」から一緒に子どもを教育していくパートナーへと変化してもらうことには、大いなる意義がある。そして保護者自身としても、不安が解消された上に子どもが希望する進路へ進めるというワケである。

講演会実績

平島啓介×杉山奈津子
勉強講演会 in 神奈川大学


作家
杉山 奈津子
平島啓介×杉山奈津子勉強講演会 in 神奈川大学
累計15万部突破の『偏差値29からの東大合格』シリーズの著者。地方の高校の芸術コースに通っていたため、彼女は、数Ⅲは、おろか、数Bすらも習ったことがなかった。そんな中、彼女は、東大理科二類を目指すことを決意する。受験勉強を始めたものの、模試の偏差値は29(数学)でE判定。しかし、一年後には、見事、東大合格果たす。その経験を活かして、現在は、作家として活動中。
平島啓介×芦名佑介
実行力覚醒セミナー in 渋谷


芦名表参道株式会社代表取締役
芦屋 佑介
平島啓介×芦名佑介実行力覚醒セミナー in 渋谷
2004年、慶應義塾高校に入学し、アメリカンフットボール部に入部。17歳で、U-19日本代表選手に、当時最年少え選出され、18歳で、U-19日本代表のキャプテンを務める。卒業後、電通にてコピーライターとして活躍。しかし、わずか1年半で、プルデンシャル生命保険株式会社に営業として転職。そして、2014年、25歳という史上最年少の若さで営業所長に抜擢。2015年10月、ハリウッド(夢)を目指すために、最高月収2400万円の社会的安泰を捨て、同社を退職。単身渡米し、ハリウッドで舞台劇『BLOOD』に出演。現在は、帰国し、芦名表参道株式会社を設立。アスリート×ビジネスマン×アーティスト×デザイナーとして、クローズアップ現代などのメディアの出演やコンサルティング、その他様々な場面で広く活躍している。
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